January 28, 2014 at 02:18AM

今日は「あの頃系音楽談義」と「旬のレシピな輪輪シネマ」という2本のニコ生をやったんだ。 「旬のレシピ」のあと、みんなで反省会、研究会的なものをやった。 その中で、ニコ生を5年も見続けてる大ファンの方が、僕たちの番組は「ニコ生っぽくない」と教えてくれた。 「ニコ生は○□で、×△じゃないといけないんです」と。 すごくなるほどな、と思ったけど、でも、それじゃニコ生は伸びないし、伸びないどころか衰退してしまうんだよね。 先日の投稿にも書いたけど、ある会社、あるサービスを壊すのは必ず「古参」のマニアな人たちなんだ。 そういう人たちは、すごくその会社やサービスの奥の奥まで入ってしまい、出て来れないだけじゃなく、新しく入って来た人に「ルール」や「文化」を押し付けようする。さらにその「ルール」や「文化」を受け入れない人を追い出そうとする。 それは完全にアウト。 運の悪いことに、サービスを提供する側や経営者も、そういうコアユーザーを大切にし過ぎてしまって自らの首を絞めることになることがまだわかっていない。 プロレスや新聞の衰退を例に挙げるまでもなく、それじゃぁ100%の確率でだめになっちゃう。 昔、パソコンってやつが世の中に出始めた頃、それを使うのは一部の限られた人たち(ヲタクなんて言われていた人たち)だった。 でも、こんなすばらしい道具をもっと多くの人たちが使えるようにしなきゃ!って思った Jobs が Apple を創った。そして、多くの人がパソコンを使い始め、それまでとは全く違う、まるで自転車や洗濯機のような存在にまでアップグレイドされた。もちろん、そういう Apple を否定するヲタクはまだいるけどね。 電話回線などの「通信」を使ったデジタルコミュニケイションも初期の頃はヲタクの遊び道具だった。いや、遊び道具どころか、彼らのアイデンティティーだったんだ。 でも、僕はこんな面白いものをごく一部の人たちだけに占有されているのはモッタイナイと思って、草の根BBSを作ったり、インターネットサービスプロバイダーを作ったりした。 そして、やはり、これも自転車や冷蔵庫のようになった。 さらに、 iPhone の出現により、ほぼ完全にひとり一台のパソコンをいつでも持ち歩くようになったように、地上波とか衛星波だけじゃなく、インターネットなどを通じてみんなが動画を見るようになってきた。生放送に関しては、まだまだこれからだけど。 20年以上前、僕はあるパソコン雑誌で連載コラムを書いていたんだけど、その中で、すぐに俺たちは手のひらサイズのコンピューターを使って通勤電車の中で新聞を読むようになるって書いたんだ。(あとでその原稿を探してみるね。) それが完全に現実になったように、みんな普通に録画(YouTube)や生放送(ニコ生)をパームトップデバイスで見るようになる。っていうか、もうなりつつある。 そこはもうパソコンヲタクやネットヲタクだけの世界ではなく、ほとんどすべての人たち、、うん、俺たちの世界なんだ。 もちろん、最先端の人たちからすると、YouTubeやニコ生なんてとっくに終わってるし、10年後にスタンダードになるサービスを嗅ぎ付けてそこで遊んでる。 俺もそういう意味じゃニコ生なんてって思うけど、現実の世界で、ひとりでも多くの人にアプローチする必要があるとしたらニコ生は避けられないんだ。まだまだこれからだけどね。 もちろん、自分たちが知っている世界、生きている世界、慣れている世界に対して保守的になる気持ちもよくわかる。 でも、もっと目を向けなければならないことが他にあるんだ。 「未来」なんだ。 「知ってること」「経験したこと」も大切だけど、幸せになるためにはもっと大切なことがあるんだ。 「想像力」なんだ。「創作力」なんだ。 よく言われる話だけど、生き物の歴史を振り返ってみると、生き残ったのは強いものでも大きなものでもなく「変わることができたもの」なんだ。 新陳代謝。 古参ユーザーは消えたほうがいいんだ。
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