オリオン座

小さい頃から大好きな星座、オリオン座。

中学になって初めて家出した海岸でも、高校になって夜遊びした帰り道でも、日本を飛び出して見知らぬ街で空を見上げたときでも、東京でも、茅ヶ崎でも、いつでもそこには大きくて優しげなオリオン座があって、なにも変わっていないことに気づかされて、落ち込んだり、ほっとしたりした。

昨夜、いつものようにオリオン座に助けてもらおうと自転車に乗りながら空を見上げたけれど、オリオン座が見つからない…。大好きな彼女が見知らぬ男と腕を組んで歩いているのを見てしまったような、恐怖に似た言い知れぬ不安を感じた。

自宅への最後の角を曲がる時、突然西の空にオリオン座が見えた。

良かった。まだ見捨てられていない。まだなにも変わっていない!

僕は僕でしかなく、成長も進化もなく、ただここにいて、少しずつ劣化しながらこのまま生きていてもいいんだよとオリオン座に宣言してもらったような気がして、安らかな気持ちで昨夜も眠りにつくことができた。


30年

あれから30年。

あの時の僕はたったの19才で、エネルギーはあり余っていて、感傷的で、繊細で、大胆だった。

撃たれたって聞いた時は、エルビスが死んだらしいよって夏の部活中に仲間から聞かされた時のように、からかわれているとしか思えなかった。

しかし、それは事実だった。

僕の中のどこか一部が終わってしまい、30年たった今もそこにはポッカリと穴が空いたままだ。そしてそれは小さな穴じゃない。

毎年12月8日になると両耳を塞ぎたくなる衝動に似た感覚に襲われ、目眩がする。

30年たってもあの日の感触や匂いや、少し不鮮明になりつつある映像が還ってくる。

苦しいというより、気持ち悪い感覚。朝の飲みかけのコーラを夕方に飲んだら生ぬるくて炭酸も抜けていて、ただ甘いだけの液体だったときのような感覚。

どうしようもできないんだけど、全力でなんとかしなきゃって理由の無い使命感に駆られ、でも1mmも進めない。進む方向さえ見つからない。虚無感。

それが空洞の正体。

ミュージアムさえない。

サイテーな気分だ。

わかってる。今年も耐えるしかないんだ。

ブログがナウい!

ナウいね〜。ブログ。今のホットでヤングなスポットはブログだね。
流行の最先端に居続けたい俺は、やっぱブログかな。

ま、それはさておき、今の今まで、俺の人生を構築してくれたのはガンジーだったり、ジョン・レノンだったり佐野元春さんだったりしたと思ってたんだけど、違った。

俺の人生を(こんなアホな人生を)構築してくれたのは「海」だ。

潮風の中で生まれ、家出したのも浜だったし、遊ぶのも、溺れるのもずっと浜だった。友達の何人かは溺死したりしてるけど海を嫌いになったことはない。

いわゆる「マリンスポーツ」はほとんどやったことがないけど、海で泳ぎ、潜り、魚を刺して家に持って帰って焼いたり煮たりしてお腹を膨らませていた。漁師ではないけどね。

そういったナチュラルな少年時代から良い意味でも悪い意味でも逃れられなくて、海に行けばとりあえず空腹ぐらいは満たすことができたという経験がサラリーマンになれない俺を構築してるんだと痛感した今夜。

とにかく、俺達って、誰かを幸せにするために生まれてきたんだから、そうするしかないよね。

その為に嫌われることもあるし、勘違いされることも多々あるんだけど「ま、いっか」としか言えない。

清志郎さんの歌で「今までしてきた悪いことだけで、明日僕が有名になっても、どうってことないさ。君が僕を知ってる。」っていういう歌があるんだけど、そんな感じ。

「理解者を求めています」とも清志郎さんは歌っているんだけど、なんかそんな感じ。でも、俺たちのように特殊な環境で生き続けているがために非常識だと言われている人間に理解者が現れる可能性はとても低い。でも、だからといってへこたれない。だからってどうしようもない。

どうしたら、幸せになれるか?どうしたら幸せにさせられるのか?マイホームパパでもなく、安定とかそういうもんでもなく、もっともっと純粋(クレイジー)な何かをドン・キホーテ的に追いかけてる。追い続けている。

佐野元春さんが歌った「俺は最低」と同じように俺は最低だって思われてるし、自分ではもっと思ってはいるけどそれを変えられない「俺」っていう餓鬼がいて、そしてそれを変えようとも思わない(思えない)。

ま、そんなことをふと思った星がチョ〜綺麗な夜でした。夕方の富士山も綺麗だったね。