「 ubuntu 」
Ubuntu は、アフリカの単語で「他者への思いやり」や「皆があっての私」といった意味を持ちます。 Linux ディストリビューションである Ubuntu は、 Ubuntu の精神をソフトウェアの世界に届けます。
この精神性に惚れて、 Photoshop が無いこと、 iTunes が無いこと、ワードもエクセルも無いこと等々、多くの「不便」を抱えていることを承知の上で飛び込んでみました。
知り合いの技術者のアドバイスやインターネット上の情報を基に、 iTunes が動き、 iPhone との同期も確立でき、 Firefox の最新バージョン(現時点では 3.5.2 )がインストールでき、日本語変換に ATOK を導入できた時点で、 Windows を超えることができました。
Photoshop の代わりになるもの、ワードやエクセルの代わりになるものも最初から無料でインストールされています。
無料で Mac OS X と Photoshop 、 マイクロソフト・オフィスを手に入れたみたいなものです。
25年ほど前になりますが、 Macintosh ( Mac )というパソコンと出会ったとき、僕は人生が変わると確信しました(そしてその通りになりました)。
そして今、 ubuntu をベースにさらに高い精神性を持った文化に入り込もうとしています。
昔の〝リッチ〟は、富(お金)があることでした。最近は急速に「どれだけ社会に貢献できているか」が〝リッチ〟であるとアップグレイドされようとしています。 ubuntu が「ドル」や「円」に換金されないで(…つまり、売られないで)リリースされ続けているのは根底にこういった〝リッチ感〟があるからでしょう。
Microsoft の〝リッチ〟と ubuntu の〝リッチ〟は違うのです。僕の〝リッチ〟感も並行して変わろうとしています。古き良き日本のように〝情〟や〝恩〟、〝愛〟みたいなものが、やはり、一番大切なのです。
ubuntu 搭載パソコンは十分な性能のものが2万円ほどで売られるようになってきました。「100ドルパソコン」も夢ではなくなってきました。
そうなると、開発途上国など、本当に IT が必要な国々の人たちに IT を届けることができるようになります。食料を送るのではなく、教育を送ることができます。
とは言っても、僕が Macintosh と出会った頃、まだみんなには Macintosh を勧めることができなかったように、 ubuntu をみんなに勧めることは現実的ではないですが、10年後にはみんなが普通に ubuntu (あるいはそれがさらに進化した別のもの… Google の「Chrome OS」?)を使っていることは確実でしょう。
「 ubuntu で何ができるか?」ではなく「 ubuntu で何を変えられるか?」をかつてのように追求していきたいと思っています。
もしかしたら、世界を変えられるかもしれません。