僕たちはどこから来て、どこに行くの?

毎号必ず買う雑誌のひとつ“Newton”。最新号(3月号)の特集は『最初の生命』。

科学的ではあるけど、哲学的でもあり、宗教的でもある。そういえばホーキング博士も例えばブラックホールに関して『実験データや観測を総合するとブラックホールの存在は絶対だが、“神様”がそう見せているだけというのも否定できない』的なことを何かに書いてたな。

誰もいない海岸に落ちていた、1個の時計。それを拾った人物は、きっと「誰かが落としたか、さもなければどこかから流れ着いたものだろう」と考えるはずだ。普通、これらが自然にできたとは思わない。(中略)ならば、地球の生命はどうだろう。(中略)細胞のなりたちを知れば知るほど、「これは誰かが地球に落としたか、さもなければどこかから流れ着いたものだろう」と思いたくもなる。

僕たちはどこから来て、どこに行くの?

個人の社会的責任

『企業の社会的責任』と訳されることが多いCSR(Corporate Social Responsibility)。

環境問題と同じように企業が仕方なくやるもの。『ムード的にやっとかないと企業イメージが悪くなるよなー』的発想。

でもいいんです。企業に純粋性、潔白性を求めていく時間はないし、おそらく無理だから。なので僕たちがやらなくちゃいけないことはムード作り。

でもその前に僕たちが気にしなくちゃいけないことは『個人の社会的責任』じゃないかな。

PSRとでも呼んでおこう。

みんな、社会に対して何をどれぐらいやってますか?自分のために費やす時間と社会のために費やす時間のどちらが多いですか?ゆっくり、じっくり考えてみたい。

東野圭吾さんの『片想い』

 血液型性格診断を信じている人は多い。その人たちによれば、人間はA、B、O、ABの四種類に分類できるということなのだろう。しかしそういう人たちでも、日常生活で血液型によって相手を差別するということは殆どない。血液型が違っても、人間であることは変わりないと思っている。また同時に、本当に分類するには四種類などという大ざっぱな分け方が不可能であることも知っている。
 ではなぜ多くの人は、性染色体のタイプに縛られるのだろう。XXであろうとXYであろうと、あるいはそれ以外のものであろうと、人間には変わりがないという考え方がなぜできないのだろう。


以上東野圭吾さんの『片想い』から引用。

時間が無くてなかなか読み進められなかった『片思い』。かなりキタよ。

性同一障害”ってすっげー差別用語だって気づかされた。そんな障害(病気)は存在せず、単なる少数派なんだ。

人間の11%は同性愛者なんですよ(『もし世界が100人の村だったら』より)。