己は他人の印象

自分の声を録音して聴いてみると全然自分の声だと感じないよね。でも自分以外の人は「これは間違いなく君の声だ。」と、言う。

己のリアルな姿や形などは自分では分からない。

「俺はハンサムだ!」と叫んでみても、他の人達が全員ハンサムじゃないと言うなら、ハンサムじゃない。にも関わらず「でも、俺はハンサムなんだよ~!」って言い続けたり、思い続ける奴がいたら一般的には“狂ってる”と思われる(天才かもしれない)。

ある人がハンサムかどうか、優しいかどうか、明るいかどうか…等々、ほとんどのその人のヒトトナリは他人によって決定付けられる。

ここをしっかりと認識しておかないと、真っすぐに進むことができなくなる。

己は他人の印象の集合体。

己のほとんど全ては他人によって形成される。
 
 

高卒採用

大学の4年間で何百万円もかけて、例えば理工学を勉強したにも関わらず、就職する先に商社を選んだ…的な人は少なくない。

だったら、高校卒業したらすぐに就職して、学費なんか一銭も払わないどころか給料をもらいながら仕事(実学)を学んだ方が良いのではないか?と考えてしま う。『勉強が大好き!』という気持ちでの進学なら理解できるが、多くの進学はモラトリアムでしかないのではないだろうか?(大企業が大卒しか採らないのも 問題だ)

僕は大学には行かず、すぐに仕事に就いた(入社経験はない)。

友達が大学を卒業する頃には、実社会で相当な知識と経験を得ていた(それもかなり特殊な経験とそれをベースにした知識)。
18才から22才までの、ものすごく吸収力があった時期に、週に4~5回ぐらいしか寝ないで、バリバリ仕事をしたおかげで、今でも同年代の人たちより抜きんでている部分も多々あるように思う。

みんなより4年も早くスタートしているのだから当然だ。26才で最初の会社を創ることもできた。

もちろん、高卒でいわゆるフリーターみたいなことをして、遊ぶためにバイトをしているような奴はスタートしていないどころか、レースにも参加していないのだから論外だ。

大学に進学するのもよし、そうでないのもよし。とにかく、なんのためにそれを選ぶのかをしっかり考えないと、年老いたときに後悔するのは間違いないだろう。

当社でも高卒採用を真剣に考えてみたい。

大切なコト

僕には今までずっとずっと守ってきた絶対的なポリシーがあります。

合法を求めず、正当を求める。

20代前半の頃に全共闘の人達に新宿の居酒屋で教えてもらった言葉です。

暴走族や犯罪者のように違法行為を楽しむのではなく、イエスマンのようにひたすらルールやマニュアルに盲目的に従うのではなく、“正しい”と思えることを行動原理にするという考え方です。

もちろん、若い頃に正しいと思ったことと、今正しいと思うことは変わってきているので行動も変わってきているのですけど、ポリシーは変わりませんでした。

でも、最近このポリシーが少し変わったのです(アップグレード?)。


“正しい”ことを行動するのではなく、“大切”なことを行動しようと思います。


それが例え正しくなくても大切なことであれば行動する。

あ、なんか、かっこいいオトナになれそうな気がする。